なんか良いことあれ

見たことや感じたこと

妊娠、出産あるいは流産、育児は未知で恐い。不妊も恐い。身動きが取れない。

20代で稼ぎの少ない男と結婚した。

数年後、勤めていた会社が合わず退職し、収入の安定しないフリーランスになった。

夫はいわゆる夢追い人で、いつか成功することを、わたしは半信半疑で待っている。

 

子どもを産んで育てたいと思っている。多少の蓄えはある。せめて夫の収入が安定したら子作りをと考えていたら30歳を迎えてしまった。

これからどんどん妊娠はしにくくなり、子どもに染色体異常が出る確率も上がるらしい。女の体の変化は止まってくれない。消極的な妊活として、避妊をやめた。

 

今のうちにお金を稼いだ方がいいとは思うが、いつ妊娠するとも分からない30歳既婚女を雇いたいと思うだろうか?

もし採用されたとしても、職場へ負担をかける罪悪感で自分が苦しくなる未来が見える。

 

妊娠出産育児はきっとさぞ大変だろう。でも今は、いつそれが始まるか、始まるかどうかも見えないことが辛い。

読書感想:ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2

言わずと知れた大人気作の続編を読んだ。

1作目から感じていたことだが、本作の「ぼく」はさらに人間性が成長していて妬ましくなってしまう。

まだ12歳ながら他人を思いやる豊かな感受性と、言語化する力、コミュニケートする力、そして行動を起こす力のどれを取っても、わたしは彼に敵わないんじゃないかと思う。

そもそも歳が上なだけで普通なら彼より人間的にも上なはずだ、とか潜在的に思っていることも露見してしまい、また恥ずかしくなる。

 

彼には丁寧に、同じ目線の高さで向き合ってくれる親が居ていいな。

 

彼の人格や能力が、すべて親や周りの環境のおかげだなんて思わない。エッセイがいくら著者の親心から自身の息子を良く描いていたとしても、彼自身の努力や決意で人生を切り開いていることはよく伝わる。

それでも、羨ましいと思わずにはいられない。

もし世界中の子どもが、彼のように多様な環境で、理解ある大人のサポートを受けて育ったら?

もしわたしが、彼のように育てられていたら?

そんな意味のないifを考えてしまうのは、過去に後悔があるからではない。

今、行動を起こす勇気の無さを、その原因を誰かに転嫁したいからだ。

理想ばかり見て、現実の自分に向き合えずに足がすくんで、周りを見回してばかりいる。

「ぼく」なら、自分の弱いところにも向き合って、困難でも少しでも良い方へと足を止めずに進み続けるのだろう。

いい加減にいい大人のわたしは、子どもを羨んでばかりいられない。

まずは「ぼく」と共に考える著者のように、自分と、身近な人と社会に、もう少しちゃんと向き合おうと思った。

間違えた桜

季節外れの桜が咲いたというニュースを見かけ、一目みてみようと上野公園へ出かけた。

秋も深まってきていて、太陽の位置が低く昼間でも目に痛い。鶯谷駅から上野公園に向かう歩道の端には玉砂利のようにどんぐりが沢山落ちていて、少し歩き辛いくらいだ。

 

上野公園に着いたが、広い公園内のどこの桜が咲いたのかは知らない。あてもなく園内を歩いた。天気の良い週末らしく、老若男女様々な人達が集まってきていた。道端でパフォーマンスをする大道芸人も多く、ところどころで人だかりができて歓声が聞こえる。露天も出ており、軽食や雑貨を売っているようだ。

噴水広場から動物園のゲートを横目に通り過ぎ、京成上野方面へ進む桜並木の途中で、目当ての桜を見つけた。

それは注意して見なければ見過ごしてしまいそうなほど目立たなかった。ほとんど枝だけの木に、5〜6箇所まばらに数輪の花をつけている。

春に見る桜の印象とはまるで違う。近づいて良く見ると確かにきれいな桜の花なのだが、場違いなステージに立っているタレントのように、どこか憐れで痛々しかった。たまに、花に気づいた通行人が物珍しそうに写真を撮るだけで、多くの人は素通りするか、大道芸を見ている。

春に、一斉に咲いている時は皆が喜んで見物に集まる桜も、時期を外れて群れにならなければただの花なのだなと、さみしくなった。